JA8119 日航123便 B747SR-110 垂直安定板損壊などによる事故


記載について

「最初の異状」…CVRの18時24分35秒付近に記録されている破壊音。「ドパーンドンドン」という感じ。

ここでの興味

事故原因を知りたい。
原因が、仮に例えば、隔壁破壊が起きて与圧が流出して垂直安定板を内側から壊したのならば、なぜ修理ミスをしたか、それを見抜けなかったか、当時と今の整備体制の是非などの副次的なことはここでの興味の対象としない。

○疑問

急減圧

最大の疑問点。
生存者が感じていた最初の異状発生時の(小さな)変化で垂直安定板は壊れるのか。
プレッシャーリリーフドアがあっても垂直安定板は壊れるのか。
加藤寛一郎東大名誉教授は空気の流れを規定する式を示して空気の流れによる破壊を主張している。
加藤寛一郎東大名誉教授はプレッシャーリリーフドアは役目を果たせなかったと主張している。

最初の異状発生前にベルトサインは一旦解除され再び着用となっていたのか

川上さんの証言より、最初の異状発生前にアテンダントが搭乗者のこどもにディズニーの人形を配っている。
証言は、アテンダントに渡された種類の人形と違うものがいいとねだったら、母にたしなめられたという具体性をもっている。
ということは、人形配布時は離陸と上昇を終え巡航に入ってベルトサインが消えているハズである。
しかし、CVRに録音されている最初の段階ではトイレを希望する客にアテンダントが操縦室の許可を求めている。
よって、ベルト着用指示が再度出されていた。いったん解除した後に再びベルト着用指示を出した理由は何か。
再度のベルト着用指示は、トイレの要求を許可する操縦室音声を解析した緊張状態の件や、異状発生後の早いスコーク77の宣言などと関係があるのか。
この疑問は他に比べてあまり論じられていない気がする。

だが、ひょっとすると、人形は離陸前の地上にいる間に配ったのかもしれない。

最初の異状、操縦室の言動〜事故はどの時点から発生したか

CVRによると、最初の異状音の直後に操縦者が「まずい(あぶねぇ?)」「なんか爆発したぞ」「スコーク77」と短い間につなげている。
どシロウトには、異状時に「何だ?」と発する方が自然な感じがあり、「まずい」または「あぶねぇ」と聞こえる第一声は、その前に起きていたことがらとの関係を思わせるような印象を受ける。
スコーク77の宣言が早い。先に状況把握をしようとするフェーズがあってもいいように思う。(単に疑問であって非難ではない)
ただ、大きな異状が発生した状況では当然とも思える。
念のため、操縦者の行動を否定しているのではない。CVRに残る最初の異状のさらに前に、何か異状のきざしがあったのではないかという推測である。
事故はCVRに残っている部分から始まったのか、そのさらに前の時点から変化があったのだろうか。

窓の外に見えた飛行物体

事故機に他の物が衝突したとすると、垂直安定板の上から下に、機体を縦に貫くような衝突になるらしい。
回収された垂直安定板の破損状況や最初の異状発生時の機首上げモーメントなどによる。
窓の外に飛行する物体を客室内から撮影したとされる写真がある。
最初の異状の発生前に、窓の外に並行・追尾しているような飛行物体が事故機内から撮影されていた。
これが衝突したとすると、疑惑の物体は進路を変えてB747の上に回りこんでから下向きに衝突することになる。
この高速での機敏な進路変更は現実的ではない。

CVRに残る比較的長い周期のヒューヒュー音

異状発生後、CVRに比較的長い繰り返し周期で空気が流れるような風を切るような音が残っている。
複雑なロールとピッチの複合した運動を続ける機体のどこかが風を切る音なのか。
隔壁の開口部が比較的狭く、変形の度合いが変化して与圧が充填と流出を繰り返しているという説もある。

○疑惑を深めるもの

世はタカ派中曽根、シーレーン

中曽根首相のもと、大幅な軍拡の時期であった。USとの軍事関係がより深まり、湾岸戦争で日の目を見ることになる精密誘導兵器の開発真っ最中であったとされる。
USのロケット弾と日本の電子アイを組み合わせた誘導兵器の開発が進められ、最初の異状発生時の地域において実験や演習が行われていた可能性が指摘されている。
これは他の物体との衝突の可能性をもつ。

「未」自衛艦まつゆき

「まつゆき」という自衛艦がある。自衛艦は製造を終えてから引渡しまでにテスト運用をするものであるらしい。
最初の異状発生時にまつゆきは近い海域にあり、事故機の一部を相模湾から引き揚げている。
自衛艦であり自衛艦でないまつゆきが試験航行中に事故に関係している。

機影消失後

レーダーから機影が消えたあとの疑惑を深める点は枚挙に暇がない。
・現場判断で救助にあたったUSの救助隊をUS軍の司令をもって撤退させた
・地面との衝突地点の特定と発表が異様に遅い、誤った情報を意図的に何度も発表している
・夜明け前に上空を多数の航空機がライトの照射や旋回飛行をしている(民間の取材機と別)
・夜明け後に物品を吊り上げて持ち去る回転翼機が目撃されている
・荷物の医療用放射線物質を口実に救助入りを遅らせている。ラジオアイソトープに危険性はなかった
・機体のバラストにウランを含む物質が含まれていることを口実に救助入りを遅らせている
・土地勘などから正確に地面との衝突地点をいち早く把握していた上野村の猟友会、消防団などの人々が救助に入るのを警察組織をもって制止した。また、他の地点に行くように強制された。

ボーイング社

ボーイング社はUSの基幹産業である。
主力機材B747に普遍的な欠陥が原因となれば、ボーイング社、果てはUS経済界に深刻な影響が及びかねないという指摘はあった。
過去におけるしりもち事故の修理ミスという個体の事情となれば、ボーイング社の損失は限定的となる。
圧力隔壁の修理ミスは、墜落現場においてボーイング社の調査エンジニアから日本の事故調に伝えられた。
名刺の後ろに図を書いて手渡されたのである。
ボーイングは事故後に自社の責任はないとする声明を出していたが、一転して9月6日に修理ミスを認めている。
加藤寛一郎東大名誉教授はボーイング社が修理ミスを真摯に恥じていると主張するが、ほんとうか。

航空事故調査委員会と事故調査

日本の運輸省の機関であった事故調は独立性や専門性、調査能力などの広い範囲で能力を疑問視されている。
事故調査機関の置き方が独立性を阻んでいる。運輸省の一部であるゆえに政治やメーカーからの圧力を当然のように受けている。
専門性が低い。航空先進国のブリキ蹴り屋との能力差がある。
予算、人員などの資源が航空先進国と比較して圧倒的に乏しい。活動能力が低いことは明らか。
当該事故報告書を作成している間に、任期制度により座長や委員が交代している。
事故調査において、歴史的に、一般的に、解明されない部分はメーカーの利益に、パイロットの不利益にされる傾向が、かつてはあった。
日本の事故調査はエアラインを被告とみなし、資料の提出をさせるが原因調査には協力させない。
航空先進国では免責と引き換えにパイロットの証言を得、エアラインの協力を得て事故再発防止のために原因を探求する。
加藤寛一郎東大名誉教授は後半の武田委員長を恐ろしく持ち上げているが、本当にそういう人物か。

日本航空による捏造証言

日本航空は医師の制止を無視して落合さんの病室に押し入り、聞き取りをしたといってウソの証言を報道させている。
例えば、日航の発表では落合さんが最初の異状発生後に「ベントホールが開いた」と言ったとしているが、後に落合さんがベントホールという言葉は知らなかったし、それは動いたかどうかは知らないと言っている。
日航は捏造証言を世に撒いて事故原因を意図的に誘導していったのではないかと疑われている。

事故資料の廃棄

新しい情報公開制度の施行を前に2000年11月頃事故資料が大量廃棄された。
保管義務期間を満了しているとはいえ、航空機事故資料が闇に葬られることは航空先進国では許されない。
CVRも廃棄対象であったが、CVRを復調した音声記録が流出した(以前から存在を指摘されていたが、15年を経て広くマスコミに流出した)。
CVR復調音声記録流出の意図は真相の究明を求める人の意思であると考えられている。
流出当初は報道各社が全くの「お涙頂戴」物語としてそれを扱った。
最近になって音声記録流出の作用を含めて真相究明への流れが再び強くなっていると感じている。

○これは事実だ

隔壁は壊れた

圧力隔壁は、過去の修理か所の継ぎ板をたどるような形で壊れた。
最初の異常発生時と地面との衝突時と、他の段階を経ているであろうが、隔壁は修理記録に近い形に壊れている。
隔壁上部には、流出空気に押されて後ろの桁に押し付けられたように曲がっている痕が残っているそうである。

最初の異状発生時に機首上げのモーメントがあった

最初の異状発生時の直後にDFDRに前に押し出すような力に続いて機首上げのモーメントが記録されている。
飛行物体が衝突したとすると、垂直安定板に上部から当たったとされ、機首上げが発生する可能性がある。
客室を出た与圧がAPUファイアウォールと、その後に垂直安定板を壊して後ろと上に抜けたとすると、機首上げが発生する可能性がある。

APUと垂直安定板の一部は海中から回収されている

最初の異状発生時の海域からまつゆきにより垂直安定板の一部が回収されている。
整備士が見たところ、上から力を受けた変形の痕が見て取れるらしい。
垂直安定板のラダーの可動部と近いところでは、ラダーがフラッター振動を起こして擦れ合ったような痕がついている。

○ あまりに微妙

隔壁

修理ミスの痕跡はあった。隔壁が壊れた痕跡もあった。
しかし、通過した客室与圧が垂直安定板を内側から破壊する力を持ち得るのか。真相は不明。

減圧

小さな減圧はあった。耳がツンとする、薄い霧が立ち込める程度の減圧である。
これは他の事故にみられるような、大きな急減圧ではなかった。
大きな急減圧とは鼓膜が破れる、人や物が強い気流とともに機外に放り出されるといったものである。

低酸素症状

乗員が低酸素症に陥っていたかどうかについても論が分かれた。
事故調査報告書などではある時間帯に乗員の会話や無線通信が途切れていることなどから
軽い低酸素症に陥っていたとされた。真相は不明。
以後、操縦にあたる乗員は緊急時には減圧の程度にかかわらず酸素マスクを着用するよう改められた。

○原因各論

隔壁破壊と与圧流出(事故調・加藤寛一郎東京大学名誉教授)

肯定側
隔壁の破壊が発生して与圧空気が後方へ流出し、垂直安定板を膨らませるように破壊した。
垂直安定板上部が壊れる段階で機首上げモーメントが発生し、DFDRの変化と符合する。
修理ミスがあったとされる継ぎ目をたどるように破壊した隔壁の残骸が回収されている。
隔壁上部が空気の流れにより後ろの桁に押し付けられた形に曲がっているらしい。

否定側
生存者の証言、また、遺体の状況からして、破壊に至る力をもった空気の流れになるような大きな減圧はなかった。
遺体には、減圧があれば見受けられるはずの肺の出血点や気泡、鼓膜の損傷がない。
過去の別の事故の例からみても隔壁破壊と急減圧があれば劇的な空気の流れとなり、生存者証言や遺体の耳の検視状況と大きく食い違う。
機首上げモーメントは他の物体との衝突、またはラダーのフラッターによる。
プレッシャーリリーフドアがあるので与圧の流出は垂直安定板を内側から壊すような力にはなり得ない。

肯定側の対論
事故調査委員会や加藤寛一郎東大名誉教授が解析を行うと、B747のような大きな胴体では空気の流れによる後部防火壁と垂直安定板の破壊は充分に起こり得る。
加藤寛一郎東大名誉教授は空気の流れの式を示して、A300の小さな胴体では状況に合わないが、B747の大きな胴体では事故調や客室状況の証言の通りになると主張する。ほんとうだろうか。
この場合の客席の状況は、生存者の減圧についての証言とほぼ同様のものとなる。
(霧が発生してすぐ消えた、息苦しくはなかった、耳はエレベータに乗ったときのようにツンと詰まった感じ)

さらに疑問
密閉された圧力を論じる場合に、B747は大きな胴体をもつモデルであるとはいえ、例えば圧力実験のシリンジ内において部分ごとに圧力や空気の流れが大きく異なることがあるだろうか。

他の物が偶然に衝突した

肯定側
相模湾海域から回収された垂直安定板の壊れ方が衝突による外力を想像させる。
垂直安定板の上部右寄りから下向きに何かが衝突したような壊れ方をしている。
まつゆきなどの演習による開発中の精密誘導兵器または模擬弾。
窓の外を飛んでいるのを客室内から撮影した写真に残る三角形の飛行物体。
最初の異状発生時にDFDRに記録された機首上げのモーメント。
夜明け後早々に回収品を吊り上げて持ち去ったとされる回転翼機の目撃証言。これは衝突の痕跡部分を集めて闇に葬るためと指摘されている。
操縦室で衝突の危険が予見されていたため最初の異状発生前(トイレ許可)の音声の緊張度が高い。また、スコーク77の発効も早い。

否定側
機首上げモーメントは与圧の噴出による。
窓の外を並行・追尾するような飛行物体が舵を切って垂直安定板の上部から衝突するような航路をとるのは不自然。

他の物を意図的に衝突させた

この機材(JA8119)にはしりもち事故と隔壁修理の経歴がある。
これを実験台に衝突実験などをすれば、その原因を隠蔽できる。
ありえないと思うが、機影消失後の対応がこの手の疑惑を深めさせている。

ラダーのフラッター

肯定側
回収された垂直安定板のラダー動翼と近いところに、ラダーがフラッター振動した際に擦れ合ってついたような圧着痕が残っている。
最初の異状の0.3〜0.1秒前のCVRを周波数解析すると、フラッターとみられる8〜32(Hz)の振動成分が抽出される。
変動成分の存在については事故調も言及している。
ボーイング社が同シリーズの新型機B747-400でラダーを支える油圧シリンダを一本増やす設計変更を行っている。

否定側
同型機の実績からみて、フラッターの発生は考えにくい。
フラッターが起きたとしても第一原因ではなく、まず垂直安定板の倒壊があってフラッター様の現象が引き起こされた。
フラッターの発生は二次的現象であり原因ではない。

垂直安定板の倒壊

肯定側
以前の大阪空港着陸時のバルーニングによるしりもち事故で圧力隔壁の他にも機体後部に深刻な影響が残った
しりもち事故の修理後は、飛行中に後部トイレのドアの動きが悪かった。地上にある間は悪くなかった。
後部にひずみがたまっていた可能性がある。
垂直安定板が上から下に押し付けられるように破壊が起こった。
その結果として上下のラダーが押し合うような形になりフラッターが発生した。
回収された垂直安定板の残骸には膨らむように変形したものがある。それは与圧空気の流出ではなくて、垂直安定板が気流を飲み込みながら倒壊したことを示している。

○書物

墜落の夏・吉岡忍

吉岡忍 著
新潮社
墜落の夏
日航123便事故全記録
1986年8月刊行
(1989年7月25日新潮文庫発行)
2章、著者が落合さんへの聞き取りを元に著した真の落合証言がある。以後の関連書籍に多数引用されている。
5章、原因究明との関連はないが保険業者の航空機保険について触れている。(他であまり見ないのでめずらしい)

疑惑 JAL123便墜落事故・角田四郎

角田四郎 フリーライター著
早稲田出版
疑惑 JAL123便墜落事故
このままでは520柱は瞑れない
日航ジャンボには自衛隊機が衝突したのか
1993年12月28日第1刷発行
氏の追及は偶然から始まる。飛行中の事故機を目撃する。友人の縁故者が乗り合わせていた。共に現場へ向かう。
目撃証言が多数集められている。
10章では原因について考察されている。CVRの音声記録が流出する以前での考察である。
目撃体験をもとにスクランブル機が存在した可能性について触れている。
隔壁損傷後も与圧が効いていて、機体の周期性運動による開口部の変化で音をたてて空気が流出していた可能性が指摘されている。

ブラックボックス・ニコラスフェイス

ニコラス・フェイス ジャーナリスト著
小路浩史 訳
原書房
ブラック・ボックス
航空機事故はなぜ起きるのか
1998年6月4日第1刷発行
本書では複数のインシデントを扱っている。
ブリキ蹴り屋(tin kicker)の紹介に始まり事故調査と組織のことが書かれている。
123便事故のことは修理ミスに起因する隔壁破壊により空気流が内側から垂直安定板を破壊したという立場で8ページ余触れられている。(p176)
スーシティのファンディスクがトウモロコシ畑からどう発見されたかなどが詳しい。(p186)
アロハ航空B737外皮事故で搭乗時に亀裂を発見したのがどんな人か、やや詳しい。(p194)
ロスロディオス衝突事故の不遇の連続具合は、藤田日出男著「あの航空機事故はこうして起きた」の図を併せて参照するとより理解できる。
事故調査にまつわるトピックを中心に成り立っている。
特定の事故のことが全編のうちのどこに書かれているのかが非常にわかりにくい。都度探す羽目になる。
巻頭に写真があるが、本文の核心に触れている部分と関連のあるものは少ない。写真は他の書に求めることになる。

墜落遺体・飯塚訓

飯塚訓 群馬県警高崎署刑事官・身元確認班長(事故当時)著
講談社
墜落遺体
御巣鷹山の日航機123便
1998年6月24日第1刷発行
人間模様が主。遺体を巡る状況の描写が話題となった。続編にあたる墜落現場が後に出版されている。
墜落地点の特定までの間は現職警察官でも翻弄されていた経緯がわかる。
遺体についての想いは宗教観の異なる外国人では日本人と大きく違う場合がある点は印象深かった。

墜落現場 遺された人たち・飯塚訓

飯塚訓 群馬県警高崎署刑事官・身元確認班長(事故当時)著
講談社
墜落現場 遺された人たち
御巣鷹山、日航機123便の真実
2001年5月30日第1刷発行
墜落遺体の続編。人間模様が主。
生存者の発見から救出までの様子は事故の謎に通じる部分が多い。
[注目!] 第五章「葬送のとき」に含まれる葬儀関係の手配の謎には、事故処理に得体の知れない影響が及ぼされている様子を描いている。

葬り去られた真実・宮村浩高

宮村浩高・映像編集会社代表取締役社長著
青心社
葬り去られた真実
日航ジャンボ機墜落事故の疑惑
2003年8月12日発行
角田氏の書に触発されたことがプロローグにおいて予め述べられている。
既知のことがらを丁寧にまとめた造りになっている。
原因については無人標的機の衝突を支持している。
掲載されている図は大雑把なものが多い。図画の史料価値は低い。

隠された証言 日航123便墜落事故・藤田日出男

藤田日出男 日本乗員組合連絡会議事故対策委員
新潮社
隠された証言 日航123便墜落事故
2003年8月15日発行
著者のもとに様々な情報が寄せられた様子が述べられている。
事故調を否定したうえで事故原因についてひとつの章があてられている。
フラッターと垂直安定板の倒壊とが主に論じられている。

ジャンボ墜落・吉原公一郎

吉原公一郎著
人間の科学新社
人間の科学(業・類字)書
新装普及版 ジャンボ墜落
御巣鷹山事故のタブーに挑む!
“14時間の空白”何故だ!?
操作されたマスコミ-8.12.18時24分34秒
2004年5月15日新装普及版第1刷発行
オレンジ色が付着したような金属片の写真と軍用空域の危険性との記述が興味深い。
氏はこの事故の不可解な点と航空の安全性や事故の再発防止について述べていて、衝突が主原因だとしているわけではない。

壊れた尾翼・加藤寛一郎

加藤寛一郎 東京大学名誉教授著
講談社+α文庫
壊れた尾翼
日航ジャンボ機墜落の真実
2004年6月20日第1刷発行
1987年8月技報堂出版刊の『壊れた尾翼』に文庫版補章を加筆
操舵が効かない機体がどのような状態にあったのかを解析。
従来「糸の切れた凧」または「木の葉のようにヒラヒラ」と表現されていた飛行を飛行力学的に検証している。
「機首を8の字(∞)に振るダッチロール」などの状態を詳説。
加藤寛一郎東京大学名誉教授はこの著書内で夢座談会を開き、江連記者との対話の中で123便乗員のとった行動を非難している。
雫石の衝突事故で従来の定説ではすぐに失われたとする水平安定板がしばらくは機能していたという著者の論文の要旨を再掲している。それにともなって、雫石事故旅客機の乗員のとった行動を非難している。
超人的な対応をとって生還した操縦者をとても評価する記事をよく書く。その反面、すべて、またはほとんどの人が犠牲となった事故に独自の解析をし、その乗員を非難する。
飛行機が好きでたまらない人が航空機に携われば何も問題が起こらないらしい。
[注目!] 隔壁破壊による客室の減圧と後部へ吹き出す空気による垂直安定板の内側からの破壊について、式と解析例を示して大きな胴体と噴出する空気の多さにより事故調の主張に近い結果があり得ると言っている。(←ふつーの人には検証できないため激しくジレンマが残る書となる)
(補章)
スーシティの事故、あと四分の機内放送や、滑走路31から22へ変更になった際のグラウンドの対応などがやや詳しい。
飛行状態は運行側の助力なしで科学的に分析できる時代なので、事故報告書を裁判の証拠に採用し、操縦者の責任を追及するのが世界の最先端だと主張している。真に受けていいのだろうか。

御巣鷹の謎を追う・米田憲司

米田憲司 しんぶん赤旗社会部ジャーナリスト著
宝島社
御巣鷹の謎を追う
日航123便事故20年
2005年7月7日第1刷発行
この事故の報道を常にリードしてきた赤旗のまとめとなっている。
一冊でのカバー範囲が広い。最初の一冊に薦められる。
アントヌッチさんの手記のことが丁寧に書かれている。
スーシティの管制との交信、滑走路の先はトウモロコシ畑の件がやや詳しい。(翻訳のため日本語表現は他の書と異なる)
[注目!] 垂直安定板上部に加わった外的要因を推測する手がかりとなる図がある(第五章)

あの航空機事故はこうして起きた・藤田日出男

藤田日出男 日本乗員組合連絡会議事故対策委員
新潮社 新潮選書
あの航空機事故はこうして起きた
2005年9月20日発行

複数の事故を扱っている。
123便については同じ作者の「隠された証言 日航123便墜落事故」と同じ要旨。隠された証言のほうが詳しい。
スーシティの管制との交信、滑走路の向こうは広い原っぱの件がやや詳しい。(翻訳のため日本語表現は他の書と異なる)
ロスロディオス衝突事故の記事はニコラスフェイス著「ブラックボックス」よりも図解などがあってわかりやすい。

爆発JAL123便・加藤寛一郎

加藤寛一郎 東京大学名誉教授著
大和書房 だいわ文庫
爆発JAL123便
航空機事故、複雑怪奇なり
墜落か、生還か-パイロットの腕次第だ
日航機の御巣鷹山の大惨事は回避できた(書き下ろし)
2006年6月15日第1刷発行
123便については、第一章で扱っている。内容は「壊れた尾翼」の部分再掲。
123便は最終的にフラップを出しすぎたために落下したとして操縦者を非難している部分は、ここにも載せている
第二章以降は機体が損傷した事故を複数取り上げている。
スーシティの破断したファンディスクの写真が載っている。
コメットの水槽での加圧試験の写真が載っている。
DC-10貨物室ドアラッチの解説が詳しい。
タイ航空620便手投げ弾事件の東京新聞の記事取材の件が詳しい。

池田昌昭シリーズ

池田昌昭 北陸大学国際交流センター講師を経て北陸大学調査役著
文芸社
御巣鷹山ファイル/JAL123便墜落「事故」真相解明/1998年1月25日
御巣鷹山ファイル2/JAL123便は自衛隊が撃墜した/1998年9月10日
御巣鷹山ファイル3/JAL123便 空白の14時間/1999年4月10日
完全犯罪/JAL123便撃墜事件/2003年8月1日

いずれもミサイル様の物体に撃墜されたという論である
事故原因に興味を持つ人は当座の書物手配リストから除いていいと思う

インターネットで解くJAL123便事件
(未入手)(2001年)

○以外の書物

ユナイテッド93・ジェレ ロングマン

ジェレ ロングマン著
原口まつ子訳
Among the Heroes 9.11United Flight 93
講談社+α文庫
壊れた尾翼
日航ジャンボ機墜落の真実
2004年6月20日第1刷発行
1987年8月技報堂出版刊の『壊れた尾翼』に文庫版補章を加筆
・詳しく書いてあること
乗客の生い立ちと乗り合わせた事情
・多少書いてあること
接地後の状況
・ほんの少し書いてあること
CVRが遺族に公開されたこと。裁判の証拠に採用されていること。一般公開はされていない
・実はよくわかっていない、と書いてあること
CVRのついて、くぐもった音声が残っているが不明瞭であること
機内での乗客の行動
・というわけで…
機内の状況を知りたいと思って読むと裏切られた感じがする
飛行状況を知りたいと思って
搭乗者と、搭乗者にかかわりのある人物の境遇を中心に構成されている
各個人の生い立ちが長々としるされ、その前後に断片的に事件の進展が付加される
各個人の話が中心になり事故をめぐる記述が、文章的にも時間軸的にも連続していない
わずかに、接地の状況を見ていた目撃者一名の記事がある
接地前の飛行の目撃は少ないがある
少ないが接地後にどういう状況であったかの記事がある
CVRについて全くといっていいほど触れられていない。くぐもった音声があったが不明瞭、程度で終わっている
DFDRについては地中何メートルから発見されたかしか触れられていない
乗員乗客と地上との会話は公開されているが、ほとんどが愛している、神に祈るといったものであり
飛行や機内の状況に関するものは一切と言っていいほどない。ほんのわずかにある程度
わかること
犯人は四人とされたが乗員乗客の通信通話では三人と伝えられた
エコノミー席では犯人に脅されずに電話ができた
接地前には機体は裏返しでエンジンが主翼の上にあった
接地時のスピードは速かった
接地前に降下があった
機体は鉱山の露天鉱を埋め戻した跡に衝突し、土に埋まった
ファーストクラスの方へ人が走っていった。悲鳴が聞こえた
機内の状況、飛行の状況はハッキリ言ってこれを読んでもわからない
状況について推測をすることで結果的に癒された関係者がいる可能性を示唆している
事故に巡り合ってしまった人々の物語である
愛している、神に祈りを、以外にどんな話が乗員乗客と地上でなされていたのかは全くわからない
乗員乗客と犯人グループがどういう関係にあったのか、肝心なところは全くわからない
飛行状況がどうであったのか、その資料価値は極めて薄い

○私的記録

長野県警とレスキュー組織

事故発生翌日の8月13日には長野県警の県内波を受信していた。
長野県のレスキュー組織が群馬県の方々とともに生存者を発見したときの交信の一部は次のようであったと記憶している。
(本部が通常の長野県警本部通信指令室であったか、特設の非常部であったかは不明)
レスキュー: 生存者は「いしざき」さん母子
本部: 「いしざき」であると搭乗者名簿には載っていない。「吉崎」ではないか
レスキュー: 「…」
(移動用無線機の長時間の使用で電池の電力がなくなりかけている)
本部: 「メリット悪くわからない。電池切れと思われるのでしばらく送信を休み、次の送信で「いしざき」か「吉崎」か送れ
:
: (バッテリーの一時的な復帰を待つ間)
:
レスキュー: 「いしざき」
本部: 「いしざき」さん、了解

(結果的には吉崎さん親子でした)
(これは、単に当時の回顧録です。通話内容などに意味はありません)

機内雑誌

アイドルタレントのファンクラブツアーに参加した際に旅行会社のツアーコンダクタから聞いた話。
85年夏の日航国内線機内誌には地面との衝突場所に近い群馬県山間部の記事があった。
多数の地蔵尊が並ぶ場所の写真があり、地蔵尊の数は520であった。
機内誌は事故後差し替えられた。
(真偽は不明です)

○ここの記載者概略

原因を知りたいだけです。誰も何も非難する気はありません。
記憶が薄れると考えが堂々巡りしてしまうのでここにまとめた。
事故についての人的関係は全くない。
趣味: 無線、RC航空機。フラッターのことはRC模型飛行機で体験する程度しか知らない。
事故発生当時は予備校生だった。翌日の8月13日には長野県警の県内系を受信しながら事故を伝えるTV番組をみていた。
2004年夏に地面との衝突があった地区に登山した。U字溝の形はわかったが樹木が茂っていた。
直接の事実は上の登山一度だけ。それ以外は報道と書籍により考えを巡らせている。

主観1
事故調査委員会は、特にこの国のこの事故の事故調は信用しない。保身第一であり探求心はない。
言われているように、ことの成り行きには巨大企業日航と日本政府、USの政治的な関与が大きいと感じている。
当初は事故調の隔壁破壊与圧流出説を全く否定していた。証言により急減圧がなかった点が矛盾するからだ。

主観2
加藤寛一郎東大名誉教授の「壊れた尾翼」に触れ、そこで展開されている大きな胴体から流出する空気の説明についての真偽が全く判断できず(偽と言い切れず)、与圧流出説も原因の候補に戻した。
加藤寛一郎東大名誉教授は、夢座談会など身勝手な方法や後に発生するスーシティの事故の都合の良い部分だけを引き合いに出し、123便の最初の異状発生後の乗員の対応に安易に文句をつけている。

主観3
真の原因についてはラダーフラッター起因説か、しりもち事故後の疲労やひずみの蓄積による垂直安定板倒壊説が近いと感じている。
高濱機長、佐々木副操縦士、福田航空機関士は上空でトラブルを抱えた事故機を上野村の地に降ろして多くの人を助けた。
救助活動が妨害されなければ、より多くの人が存命であった。
乗員と乗客の犠牲者は角田氏の指摘にあるとおり胎児1名を加えた計521名である。